大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島地方裁判所 昭和53年(ワ)5号 判決 1980年7月15日

原告

山根文雄

右訴訟代理人

高村是懿

被告

東洋工業株式会社

右代表者

山崎芳雄

右訴訟代理人

岡咲恕一

右同

那須野徳次郎

主文

被告は原告に対し金二六九万八六四〇円及び内金二四四万八六四〇円に対する昭和五三年一月一二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを八分し、その七を原告の、その一を被告の各負担とする。

この判決は原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一労働契約の成立と事故の発生

原告は、昭和三八年三月呉工業高等学校を卒業し、同年一〇月一六日自動車の製造販売等を業とする被告会社と労働契約を締結して入社し、右契約に従い、被告会社プレス課第一プレス工場奥迫職場に勤務し、昭和五一年四月当時本件プレス機械を使用する仕事に従事していたこと、及び、原告は、昭和五一年四月一〇日午前二時一五分頃右機械を使用して自動車部品をプレスしていた際、材料をもつた右手を型具内においたところ、突然右プレス機械が起動したため、右手第三、第四、第五指に受傷し、後遺症を蒙つたことは、当事者間に争いがない。

二被告会社の債務不履行責任

労働契約は基本的には使用者が労働者の労務提供に対して報酬を支払うことを約す双務有償契約であるが、労働者は使用者の指揮に服しその指定した労務供給場所に配置され、使用者の提供する設備、機械、道具等を用いて労務供給を行うものであるから、労働契約に含まれる使用者の義務は単に報酬支払義務につきるものではなく、信義則上労働契約に付随する義務として、労働者が労務の提供に際して使用する右諸施設から生ずる危険が労働者に及ばないように労働者の安全を保護する義務も含まれているものといわなければならない。

使用者の安全保護義務の具体的内容は、労働安全衛生法上の義務につきるものでなく、当該労働契約の内容、使用者の提供する労務給付の場所、施設等の具体的状況により決定されるものである。

そこで、本件事故発生の経緯及び被告の債務不履行責任の存否をめぐる事実関係についてみると、<証拠>を総合すると、次のとおりの事実が認められる。

1  本件プレス機械は、アイダエンジニアリング製七五トンプレス(固定式O型フレーム、フリクションクラッチ式)であり、両手操作式安全装置を有し、一行程一停止のノンリビート装置を備えているものである。右プレス機械は、正面左右に二つの押ボタンがあり、これを左右両手で押したときに、はじめてスライド部分が上死点から下降を始めて下死点に至り、そこから上昇に転じ再び上死点に至つて停止するものであり、一行程の上下往復運動が終了した場合には、二つの押ボタンを押しつづけていてもそれ以上、往復運動を繰返すことなく、また、左右両手のいずれかが押ボタンから放れるときは下降しつつあるスライドが急停止する装置を有するものである。

右プレス機械のプレス運転回路は、左右いずれかの押ボタンが故障し、その接点が接続した状態が発生した場合には、他方の押ボタンを押しその接点を接続させることにより回路が成立し、他方の押ボタンを押しただけでスライドが起動してしまう構造であつた。

本件プレス機械に取付けられた押ボタンスイッチは、国内有数のメーカーであるマルヤス電業株式会社によつて日本工業規格に準拠して製造されたもので、電気的寿命一〇〇万回を保証されていた。被告会社では昭和四九年頃から小型プレス機械一〇数台にマルヤス電業株式会社製の押ボタンスイッチを採用してきたが、本件事故に至るまで故障の例はなかつた。本件プレス機械に取付けられた押ボタンスイッチは本件事故までに二〇万回程度使用されていた。

2  被告会社におけるプレス機械によるコスモレインフォースメントのフォーミング作業は、一枚の加工につき0.18分、一時間当り三三四枚が標準加工時間とされており、その作業行程は、先ず右手で材料をとり出し、それをプレス機械の型具の上にセットし、両手で押ボタンを押して成型し、それを左手で取外し、シュートに入れ、再びもとの動作に戻るという作業の繰り返しである。これらの作業を短時間に行うため、左手で取外しの作業をするのとほとんど同時に右手でセットの作業を行うという作業状況であつた。

3  被告会社においては、プレス機械及びその安全装置について法令で要求されている定期自主検査及び作業開始前の点検を行つてきた。また、昭和四六年作成の「作業者必携小型プレス」において、加工作業は必ず両手でスイッチ操作を行うべき旨記載し、同四七年作成の「社内技能テキストプレス一般」において、スライドを運転し、プレス成型するために、人および材料の異常を確かめて、押ボタンを押すこと等を記載したプレス安全作業基準を設け、これらを原告ら作業者に配付していた。被告会社においては、昭和四八年には原告を含む作業者にプレス機械及びその安全装置に関する特別教育を実施し、また、昭和五〇年一月から九月にかけて原告を含む職場の作業者の間で連日のように安全小グループ活動として作業上の不注意について反省を行う安全活動が行われていた。原告の場合についても、その職場の職長、職長補佐らが原告ら作業者に対し直接月一回以上押ボタンスイッチの操作方法につき注意を与えていた。

4  昭和五一年四月九日夜から原告は前記プレス機械を使用して、コスモレインフォースメントのフォーミング工程を作業していた。原告は、同日夜一一時過頃プレス機械の上死点停止がすつきりしないことに気づき、職長補佐の田中一明にこのことを告げ、両名が片手で片方づつスイッチを押してテストをしてみたが、異常は見出せなかつたため、そのまま作業をつづけた。翌一〇日午前二時頃原告が右手で材料を機具にセットしようとしたとき(作業開始後二二三枚目)、左側の押ボタンスイッチに左手が触れ、突然スライドが一行程作動し、右手指第三、第四、第五指の一部を挫滅負傷した。右側押ボタンスイッチが故障し、これを押した場合と同様の状態になつていたため、左側の押ボタンが押されただけで、スライドが作動したものである。

5  本件事故発生後、被告会社はマルヤス電業株式会社製造の押ボタンスイッチを、かねて大型プレスに使用しており、構造的に強固であり信頼性の高い米国製マイクロスイッチに取替えるとともに、プレス運転回路を、左右いずれかの押ボタンが故障し、その接点が接続した状態が発生した場合でも、両方の押ボタンを押さない以上回路が成立しないように改造し、片側の押ボタンスイッチに故障が発生しても他方の押ボタンスイッチだけの操作でスライドが作動することがないようにした。また、被告会社では、本件事故後、身体の一部をプレスの危険限界内に進入させることのないように、材料をセットするときにマグネット工具を使用させることにした。

本件事故発生を機に被告会社では、「1プレス機械の両手操作式押ボタンスイッチを押す場合は、必ず、両手により左右の押ボタンを同時に押すこと。2プレス機械危険限界内に身体(片手・両手又は上半身・全身)を入れた状態で、プレス機械操作スイッチを押さないこと。又、協同作業においては、協同作業者の身体がプレス機械危険限界内にないことを確認の上、プレス機械操作スイッチを押すこと。3休憩終了後のプレス作業開始に当つては、片手運転操作を行い、プレス機械の異常有無(片手運転操作によりプレス機械が作動しないこと)を確認し、プレス作業を開始すること。」との内容のプレス課長通達を発し、この内容をプレス安全作業基準、プレス作業者必携に反映させることとした。

以上のとおり認められ、本件事故は、原告が右手で材料をセットしようとしたとき左側の押ボタンスイッチに左手が触れた際、右側の押ボタンが故障していたためスライドが作動して発生したものであることは明らかである。

前記認定事実によれば、本件事故発生の原因となつたマルヤス電業株式会社製造の押ボタンスイッチは日本工業規格に準拠したもので、従来被告会社において故障を生じたことはなく、本件押ボタンスイッチは耐用回数をはるかに下回つていたものであり、被告会社においてはプレス機械及びその安全装置について法令に定める点検を実施し、また、プレス安全作業基準、作業者必携を作成配布する等して安全教育・指導をしてきており、本件プレス機械の両手操作式安全装置は法令の要求する機能を有する構造のものではあるけれども、一般に、およそ機械が絶対に故障しないとは言えず、現に本件事故は押ボタンスイッチの故障により発生したものであるが、このような故障があつた場合でも、前記のようにマグネット工具を使用させ、或いはプレス運転回路の変更を行うことにより、容易に本件のような事故発生を避けることは可能であつたものと考えられる。ところが、被告会社は本件事故発生に至るまで右のような措置をとることなく、本件事故が発生したのであるから、被告会社に帰責事由がなかつたものと認めることはできず、このように認めるべき証拠はない。その余の責任原因について判断するまでもなく、被告会社は安全保護義務違反による債務不履行責任を免れない。

三損害

次に、本件事故による原告の損害についてみると、原告が本件事故当時満三一才で、事故前三カ月平均の一日当りの賃金が金五二五二円であつたこと及び原告が労災保険金より一三六万一一九六円、被告会社から見舞金一〇万円を受領したことは当事者間に争いなく、<証拠>及び当事者間に争いない事実によれば、次のとおりの事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

原告は、昭和一九年七月二日生で、同三八年呉工業高校を卒業して被告会社に就職し、七、八年間ダイセット工をした後プレス工として勤務してきたもので、本件事故当時満三一才九ケ月であつた。

原告は、本件事故により右手第四指、第五指の中節骨の半分から先を失い、第三指の末節骨を三ミリメートルと爪の全部を失つた。そして、原告は、広島労働基準監督署長から労働者災害補償保険法に基き障害者等級第一一級の認定を受けた。

原告は、本件事故により昭和五一年四月一〇日から同年六月一日まで五三日間被告会社附属病院に入院して手術等の治療を受け、その後年七月一三日まで週一回程度同病院に通院して治療を受けた(但し原告の入・通院治療期間については当事者間に争いがない。)。その後原告は復職したが、事務等の作業が好ましいとする、配置転換を要する旨の診断に従い、余り指先を使用しなくとすむ職場に行き、事故から三カ月後元のプレス職場に戻った。原告は、元の職場に戻つたものの、後遺症のため、事故前のような作業には従事せず、片手で押せばよい枠を取付けた片手操作の機械で作業をしている。しかし、原告は現在に至るまで被告会社に勤務し、事故後格別の収入減を生じてはいない。なお、被告会社における定年は五五才である。

以上のとおり認められ、長年プレス機械による作業を職としてきた原告が右手第四、第五指の中節骨の半分から先を失い、第三指の末節骨を三ミリメートルと爪全部を失い、プレス機械による作業を十分に行い得なくなつた精神的苦痛は極めて大きいと考えられるのみならず、原告は右手第四、第五指の末節骨を失い、第三指の末節骨の一部を失つたのであるから、労働者災害補償保険法等級第一一級に該当するものとみるのが相当であり、これによつて将来にわたつて労働能力の二〇パーセントを喪失したものというべきである。なお、原告は右手第三指の爪を失つているけれども、末節骨を三ミリメートル失つたに止まるから、第三指が用を廃したものとはみられず、従つて労働者災害補償保険法等級第一〇級に該当するとはいえない。

しかし、原告は現に被告会社に勤務し格別の収入減も生じておらず、定年までの同右後遺症による収入減が生ずる蓋然性を認めるに足りる資料もないから、原告の本件事故による逸失利益は定年後について考えれば足りることとなる。原告主張のように原告が五五才定年退職まで事故時の給与に毎年五パーセントの昇給率を乗じた額に相当する給与を受け得たであろうと予測するに足りる資料はないから、賃金センサスを基礎に定年後の逸失利益の事故時現価を算出する外ない。昭和五二年賃金センサスによると、産業計男子労働者新高卒五五才から五九才までのものの平均賃金は三一〇万一一〇〇円であるから、事故時満三一才九カ月であつた原告の五五才から六〇才に達するまでの間逸失利益は、310万1100円×0.2(労働能力喪失率)×2.176(二八年のホフマン現価係数から二三年のそれを控除したもの)=134万9598円(円未満切捨)を下らず、同じく六〇才以上のものの平均賃金は二三八万七九〇〇円であるから、六〇才から六七才までの間の逸失利益は、238万7900円×0.2(労働能力喪失率)×2.6963(三五年のホフマン現価係数から二八年のそれを控除したもの)=128万7698円(円未満切捨)を下らず、以上の合計は二六三万七二九六円となる。

ところで、コスモレインフォースメントのフォーミング作業は、前記認定のとおり、左手で取外しの作業をするのとほとんど同時に右手でセットの作業を行うものであつて、右手をプレス機械の危険限界内に入れたまま左手で押ボタンスイッチを押してしまう可能性がないとはいえず、かつ、本件プレス機械は両手操作式安全装置を有し、押ボタンスイッチ等の故障がない限り片側の押ボタンスイッチを押しても事故発生に至らないはずのものであるから、原告は強く非難されるべきであるとは考えられない。しかし、原告は長年プレス作業に従事し本件プレス機械の取扱いに熟練し、危険限界内に身体の一部を入れるべきでないことを認識していたはずであるから、右手を本件プレス機械の危険限界内に入れたままで左手で押ボタンスイッチに触れた原告には落度があつたものといわざるを得ない。

原告の右の落度を斟酌すると、被告会社は原告の逸失利益の八割の二一〇万九八三六円(円未満切捨)を負担すべきものとするのが相当であるが、原告が既に受領したことに争いのない労災保険金一三六万一一九六円を控除すると残額は七四万八六四〇円となる。

また、原告の前記後遺症の程度、入院状況からすると、前記の落度を斟酌しても、原告の受けるべき慰藉料は一八〇万円が相当である。

従つて、逸失利益及び慰藉料の合計は二五四万八六四〇円であるが、被告会社から受領した見舞金一〇万円を控除すると二四四万八六四〇円となる。

そして、本件は被告の安全保護義務違反による損害の賠償を請求するものであるが、原告が本件訴訟の追行を原告訴訟代理人に委任したことは記録上明らかであり、本件がかなり困難な問題を含む事案であることのほか、請求額、請求認容額等本訴にあらわれた諸般の事情に照すと、本件債務不履行と相当因果関係のある損害として請求しうる弁護士費用は二五万円を相当と認める。

四まとめ

よつて、原告の本訴請求は、損害金二六九万八六四〇円及びそのうち弁護士費用を除いた額二四四万八六四〇円に対する本訴状送達による催告の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五三年一月一二日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(森川憲明 大前和俊 吉田徹)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例